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Essays
by Akemi Iwase
時は風と流れて行く 岩瀬明美
私がアメリカに住みだしてから35年立つ。
半世紀前だったら、日本人アメリカ移民一世と言う肩書きが付いていたはずだ。私がアメリカへ来たばかりの頃は、日本人は今のように沢山住んでいなかった。まず私が初めて旅立った時は、羽田飛行場からハワイ、サンフランシスコ経由そしてニューヨークへと長時間をかけやっとの思いで行った物だ。
それから35年、いろいろな事が私の人生にあった、ある時、友人から、日本で平凡に暮らしている同年輩の人と比べると10人分くらいの人生だと言われた。
確かにそうかもしれない 子供を二人抱え離婚もしたし、滅茶苦茶貧乏だったし、音楽だけで、子供に毎日の食事をテーブルに置く事が大変で、ありとあらゆる仕事をした。ミュージッシャン、などと言うと格好く聞こえるが、ストリッパー、奇術師、サーカス、の伴奏をし、また、留置所の囚人達、精神病院、老人ホームで演奏するかと思えば生きて帰れるのか思う程、柄の悪い場末のバーで歌った。
今、私はこの人生を、何よりも変えがたい素晴らしい人生だと思っている。
若い頃、私は、不良娘と家族から呼ばれていた。そして、35年と言う時が流れ、少し大人になったかなと思い始めた、この頃、新しいアルバム((時は風と流れて行く)を製作した。
アルバム(時は風と流れて行く)は、約100年前、アメリカ、南米へ移民し、苦難の中生き抜いたいた日本人移民開拓者に贈る歌だ。それが切っ掛けで、南米開拓者をインターネットなどで調べて行く内、小さな記事を見つけた。その記事には、ボリビアの北部リベラルタ、アマゾン奥地にゴム森林の開拓で、ボリビアに移民して来た日本人男子達が作った、落し子が、このアマゾン川奥に原住民としてくらしている、とあった。好奇心が人一番強い私に、この記事は、何かの物が、凄い力で私をアマゾンへと引っ張っていった。そして私は、主人のリチャード、前夫との間の28才になる息子のジェイムスと共にボリビアへと旅立った。
2002年9月5日アマゾンの中間点である世界で一番高い標高4000メートル首都、冬のラパズに着いた。6000メートル級の山々に囲まれ、青より青い空と眩しい太陽に、色鮮やかな民族衣装の働き者のインデイヘナの女達が重い風呂敷を背に忙しそうに坂道をセッセと歩き、道という道には、露天をひらき物凄いにぎわいだ。南米の中でも一番多くインデイヘナ民族が行き交うラパスは、活気に溢れていた。
そして、ラパスに着いて2日後、高山病もさながら私達は、ラパス郊外にあるテイワナク遺跡を見学することにした。ラパスから観光バスで一時間半程緑が美しい延々とつづく広野を走りテイワナク遺跡に着いた。
テイワナク文化は、紀元400年から800年頃までつづき、インカ帝国の次に大きな文化だったそうだ。
ピラコチャの神や、そして多くの神々を信仰した宗教都市だった。しかしスペインから征服者が来た時巨大な神殿の遺跡は、悲しくも殆ど破壊されてしまった。カソリックの教会を造るため遺跡を壊し教会の土台にしたそうだ。何か、もの悲しく、破壊された神殿が私達の前に広がっている。しかし、この神殿で崇拝し、厳粛に、儀式が行われて居た時の事が、この大地に消えずに、何百年も過ぎた今でも、波動として残っていることが、ビンビンと感じ取ることが出来た。
そして、この神聖な神殿で、私の息子ジェイムスに異変が起きたのだ。
息子が、突如と何かが爆発したかのように、大きな声で怒り狂ったように、怒鳴り始めたのだ。
どうしてこのような事が起きているのだろうか?
ショックで唖然とし、身動きが出来ない、そして、怪我でもしたのかと思った。息子に近づいた私に、乱暴にしり退けた。そして、露骨で汚い言葉を、これ以上大きな声を出せるかと、私に罵りだしたのだった。普段とても恥ずかしがり屋でおとなしい性格のこの子が、火山が突然大きな爆発音とともに、真っ赤な熱い溶岩を吹き出したかのように怒り狂い始めたのだ。
神聖な遺跡を一緒に見学していた観光客達が、驚いた顔付で、慌てるようにして、私達から遠ざかって行く。私達は、怒り狂う息子を、必死の思いで、なだめようとした。だが、いっぺん凄い力で噴火した火山は、止めようが無いように、コントロールがきかなくなってしまっていた。物凄いショックで、動揺している私に主人が、私の腕をつかんで、無理矢理、息子から私を離れさせていた。
息子の喚きは、神聖なはずの広大な石組みの神殿に、延々と響き渡っている。
インカ、マーヤンの信仰に、人を生け贄にして神に捧げた習慣があった。そして私は、息子と私の過去の縁と、この場所で私達親子が経験したことが、圧倒感と共に蘇って来たのだ。私の身体がワナワナと震えだし、しゃがみ込んでしまった、その時ピッタ!っと息子の叫びがやんだのだ。
息子がゲッソリと疲れきった顔つきで、私達に近づいて来た。さっきの剣幕が、嘘のように打って変り、静
かなのだ。
神殿が、シーン!と静止した。
私達は、沈黙のまま帰りのバスに乗り、ラパスののホテルに帰った。信じがたい先程の情景が、私の頭の中に、まだ起きているかのように、私は、それを見ていた。そして、息子がまだ4才程の頃、私が、息子の父と、離婚した当時の事を、思い出していた。私は息子に詫びようと思った。
ホテルのレストランに、私と息子だけで行った。息子は先程の事が、相当応えたらしくションボリ、遠くを見ていた。そして私は、出し抜けに、本当に、本当に、あなたは、可哀想だったね。淋しい思いをさせ、悲しい思いをさせ、苦しかっただろうね、お母さん本当に本当に悪かった。でも私にとってあなたは、いつもとても大切な、何よりも変えがたい、重要な人であり、お母さんは、本当に、本当に、あなたを心から愛しているのです。
私は、人目をかまわず息子を抱き締めながら言った。息子も人前かまわず、大粒の涙でワーワー泣き出した。息子は、ウン、ウン解っている、解っていると言いながら、しばらくの間泣き止まなかった。私は、このように身体を震わせ泣く息子を初めて見た。そして、今私が詫びた言葉が、息子の身体の中に入って行くのが、はっきり私の目に見えた。
その夜、私の身体が、ガタガタと震えが止まらなかった。そして高熱が私の身体を襲った。時は風と流れて行く、また会える日まで、紫の花の上で夢見る、、と新しいアルバムで私は、歌っている。私と息子の過去の因縁は、何百年もの間、未解決のまま、何回も繰り返されていたのだろうか。
何世紀も前に、テイワナクの神殿の中で、私達親子に起きた出来事の感覚が、私にまた蘇ってくる。
大声で息子を、泣叫んでいる私・・・。
私は何百年ふりにこの事を思い出している。
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